こんにちは@こんぶろぐです。


今回はちょっと番外編。

先日訪れたポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所(以下アウシュヴィッツ)を訪れて考えたこと、調べたことをまとめたいと思います。


アウシュヴィッツのことを調べていくとどうしても”殺された人の数”や”ナチス・ヒトラーの残忍さ”、”人体実験の酷さ”が際立ってしまう印象がありました。

でも何というか、、、本質はきっと違うんだろうなと思い自分なりに色々と調べて、実際に訪ねて見てきました。


そして知れば知るほど何が正しいのかわからなくなるアウシュヴィッツのこと。
そしてユダヤ人のこと。

こうしてまとめておかないと忘れてしまうので、マレーシア編をすっとばして書きます。

 

TODAY'Sこんぶ出汁
●アウシュヴィッツはそもそもどんな所なのか?
●アジア人唯一の公式ガイド”中谷剛さん”と周ったアウシュヴィッツ。
●ヒトラー?ナチス?ドイツ?ユダヤ人?一体誰が悪いのか?
●大切なのは自分で考える力を持つこと。
●中谷剛さんへのガイド依頼方法。

※TODAY'Sこんぶ出汁(ダシ)とは昆布出汁が料理の味に深みを与えておいしくしてくれる様に、みなさんの海外旅行に深みを与えて、少しでも”おいしくなる情報”を今後も少しづつ記事内に混ぜ込んでいきたいと思っています。


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※後日、中谷さんがこのブログを読んでくださり、事実関係でいくつか指摘をいただきましたので、その点を修正しました。


□アウシュヴィッツはそもそもどんな所なのか?


アウシュヴィッツはポーランドのオシフィエンチムという南部の街に、第二次世界大戦中にナチス(ヒトラーを党首としたドイツの政党)によって作られた施設です。


そしてアウシュヴィッツは実は3箇所あり、現在、見学できるのはその中でも2箇所です。


第一収容所”アウシュヴィッツ”と第二収容所”ビルケナウ”。
その収容施設群の総称が【アウシュヴィッツ】と呼ばれています。


現在はポーランドの名所として毎年多くの観光客が訪れていて
アクセスはポーランドの”クラクフ”からバスや電車で向かうのが一般的です。

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アウシュヴィッツが造られた目的は、ユダヤ人や、当時のドイツの政策に反対してた政治犯、精神障害者、同性愛者などの人たちを強制収容して民族浄化の理由で殺したり、国の発展のための労働力に利用したりするため


結局ほとんどが殺されてしまっているので、殺すための施設”死の収容所”なんて呼ばれていたりします。


実際にはナチスによってどんなことが行われていたかというと。。。

●多くはアウシュヴィッツに着いて早々ガス室に送られて殺虫剤で殺された。
●労働力になるとみなされて一時的に生き延びた人も、劣悪な環境のもとで重労働させられたり、虐殺に加担させられたり(同族を騙したり殺したり)して最終的にはやはり殺された。
●海水飲水実験や超高度実験、低体温実験、マラリア実験、強制不妊化実験など数々の人体実験に利用されて殺された。
●これらの方法でアウシュヴィッツでは1日数千人単位で殺されてる。
●結局ヨーロッパ全土でユダヤ人が600万人殺されている。
(この数字は諸説あるらしいです。)


こういう風に書くと「ナチスはなんて非道な奴らなんだ!」、「ヒトラーまじで鬼畜過ぎる!」、「人体実験なんてしていいのかよ?」、「ドイツ頭おかしいんじゃないのか?」と思いませんか?

私は思いました。
こんなことよく出来たなと。


でもふと考えてみるとこんな疑問が浮かんできました。


そもそも何でユダヤ人ってこんなに殺されてしまったんだろう?
ナチスやヒトラーは何でこんなことをしたんだろう?
こんな酷いこと、誰も止められなかったのか?
さすがにこんなこと今は起こらないよね?


これらの疑問の答えは実際にアウシュヴィッツを訪れたことでわかりました。

正しくはアウシュヴィッツ訪問も含めて、考えるきっかけを提起されたことで自分で調べたりもしてある程度自分なりに、それなりに腹落ちする答えにたどりつきました。


□公式ガイドの中谷剛さんと周ったアウシュヴィッツ。


私たちは当初、クラクフから現地の英語ツアーに予約して行く予定でした。
しかし色々あり、とても運良くアジア人唯一の公式ガイドの中谷さんと周ることができました。

中谷さんへのガイドの依頼方法などについては最後にまとめています。


私たちがアウシュヴィッツを訪れたのは雪も残る2月15日。
中谷さんと見学される場合、基本的には現地集合になります。


クラクフからのバスでアウシュヴィッツの入り口に到着です。
時間にして1時間半程度。料金は1人12zl(約360円)でした。
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この道をまっすぐ進むとアウシュヴィッツの入場棟に着きます。
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中谷さんとはレンガ造りの入場棟前で待ち合わせです。
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今日のメンバーは16人。全員日本人です。
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A4サイズ以上のカバンやリュックは持ち込めないので、入場棟向かって左手側にあるクロークで荷物を預ける必要があります。(有料です。)
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この奥の方がアジア人で唯一の公式ガイドである中谷さんです。
入場棟で荷物チェックを行い、イヤホンとレシーバーを受け取ります。
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中谷さんの説明はこのイヤホンを通じて聞こえてくるので、写真を撮りながらや少し離れても大丈夫です。
写真撮影は基本的に問題ありません。ただ、当時の人たちの毛髪が展示されている部屋など自粛した方が良い箇所がいくつかあります。その場所は中谷さんがガイド中に教えてくれます。

アウシュヴィッツの正門。
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書いてある文字は


ARBEIT MACHT FREID
「働けば自由になれる」



これは今から収容される人に仮初の希望を与えるため。
脱走や暴動を起こさせないために書かれています。

Bの文字が逆になっているのは有名な話。
これを作らされたのも囚人。
その囚人がせめてもの抵抗の意思として逆に作ったというのが有力です。

※ただしこの逆文字は「もともとデザインであった」との歴史家の意見も大勢あるようです。


囚人が通る通路には有刺鉄線が張りめぐらされています。更には400Vの電流までも流れている。
これは一般家庭の約2倍。決して高圧とは言えないが致死レベルの電流であったとのこと。
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これは音楽隊の写真。収容所に音楽隊がなぜ必要なのか?
それは虐殺をカモフラージュするためです。
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しかもこの音楽隊も囚人達で構成されています。
中の事情を知っている囚人たちは、どんな気持ちで新しく収容されてきた人たちを見ていたんでしょうか、、、

これを見ると、ヨーロッパのいたるところから収容されて来たかが分かります。
少なくとも130万人というとてつもない数の人が収容されてきたそうです。
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収容所内部の写真
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ここで疑問に思うことがありました。


ここまで色々な写真を見てきたけど
なんでこんな写真があるのだろう?



それは監視員の幹部たちが隠れて撮っていて、ドイツが敗戦してこの収容所から逃げるときに置き忘れていったからとのこと。これらの置き忘れの写真が無ければ当時の記録は残っていなかったかも知れないとも言っていました。


これは第一収容所(アウシュヴィッツ)と第二収容所(ビルケナウ)との位置関係の地図です。
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1日に数千人単位で運ばれてくる囚人に対して、第一収容所だけでは対応しきれなくなり、すぐに第二収容所が作られました。見ると収容所の中にまで線路が敷かれていますが、これはより効率的に囚人を運ぶためだそうです。


奥に見えるのがガス室で大虐殺に使用されていた殺虫剤”チクロンB”。
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シラミなどに効果がある殺虫剤で一般の家庭でも使用されている物というから驚きです。
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この様に、ユダヤ人たちを殺すのに”殺虫剤”を使用したという意識からも、当時のユダヤ人たちに対する偏見の意識が見えてきます。


収容される際にユダヤ人たちが持ってきていたバッグ。
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収容される時、「ユダヤ人のために新しく住む土地を用意した」と移民処置と思い込まされていた彼らは、家を売ったりなどして金品の全てを持ってくる人も多かったそうです。もちろんそれらはナチスに回収されてしまい、彼らは殺されてしまいます。


中には子供を連れて収容される人ももちろんいました。母親は子供を不安にさせないためにもこういった食器を持ってくることもありました。
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この他にも囚人がかけていたメガネや靴、義足なども大量に、本当に大量に展示されていました。靴の中には革靴はもちろん女性用の靴やハイヒール、サンダル、子供用の靴までも生々しく展示されています。


また「撮影は自粛してください」と言われた場所には、殺された後に刈られた毛髪までもが展示されていました。初めは様々な色の毛髪があったそうですが、もうかなりの年月が経っているのですべて同じようにくすんだ色をしていました。

しかも、当時物資不足だったドイツはこの毛髪を囚人たちに編ませて絨毯を作ったりしていました、、、、

ものすごい環境ですね、、、


正門の音楽隊だけに限らず、囚人の誘導や虐殺、死体処理などの労働は全て同じ囚人がやらされていました。
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同族を殺す騙すなんて出来ない!!
と言って拒否することはできなかったのか?

もちろんそんなことできるわけは無かったのだと思います。
断ればその場で自分が先に殺される。

しかも上手く労働に参加できれば他の囚人よりも少しだけ裕福な生活を送ることできます。

ちょっとだけ広い部屋が用意されたり、少しだけ量の多い食事が配給されたり。
そのようにして囚人をコントロールしていったのです。
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囚人用の布団。ここにかなりの人数で寝かされていました。
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ベッドタイプ。1つのベッドを4〜5人で使っていたそうです。
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ここは「死の壁」。ガス室だけでなくここでの銃殺も行われていました。
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ただしこの場所は主にポーランド人などの抵抗組織と判断された人たちが殺されていた様です。

ここが大量虐殺が行われてガス室。当時はこの煙突から延々と死体焼却の煙が出ていました。
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「体を洗うから服を脱げ」と言われて全裸にさせられ、室内がギュウギュウになるまで押し込まれていた囚人たち。天井には本当にシャワーと思わせるため偽物のシャワーヘッドまで付いていたそう。
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この天井の穴から投げ込まれていたチクロンB。
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殺虫剤ということもあり、即死ではなく15分〜20分ほどかけて死んでいったそうです。
あまりのギュウギュウさに死んでもみんな倒れることが出来ず、直立のままだったとか。。。

看守はチクロンBを天井穴から投げ込むだけで、死体を運んだり燃やしたりするのは同族の友人の仕事です。汚いことは囚人にやらせて、看守たちはなるべく間接的に手を下すことで看守たちの意識はコントロールされていました。

ガス室のすぐ隣にある焼却炉
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外に出るとちょうどイスラエルの人たち(つまりはユダヤ人)がこのガス室を見学に来ていました。
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祈っているのか、みんなで何かを歌っていました。


ひとまずここで第一収容所(アウシュヴィッツ)は終了です。
※帰りたい人はここで帰ることもできます。

出口でイヤホンとレシーバーを返却して10分間の小休憩をとります。
その後バス(無料)で移動して第二収容所(ビルケナウ)に向かいます。
※この時はバスに乗る前に中谷さんにガイド料をお支払しました。 

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第二収容所(ビルケナウ)です。この塔は当時の監視塔で実際に登ることもできます。
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監視塔からの風景。おそらく銃を持ってこうやって監視していたのでしょう。
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ビルケナウは資料などを見学する場所ではなく、当時使用されていた線路や建物などを見たり、実際に中を歩いたりする所でした。

収容所内から監視塔を撮影したもの。収容所の中まで線路が伸びているのがわかります。
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これが実際に強制収容するのに使用されていた貨車。
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これ1両に70人もの人たちが押し込まれていました。
もちろん椅子や電気、窓はありません。その状態で3日間も運ばれていた人たちもいたそうです。

そしてこの貨車を降りてからナチスの医者による「死の選別」がはじまります。

労働力として使えそうな人とそうでない人を選別します。
”使えない”と判断された人たちは即ガス室に連れて行かれ殺されてしまいます。

ガス室までの道から貨車の方を振り向いて撮った写真。
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死の選別を下されてからガス室までは意外と距離があります。
その間、ただただ空は広く、不謹慎ですがとてもキレイだなと思ってしまいました。

当時ここを歩いた人たちも同じような空を見ていたはずです。
その時どんな気持ちでこの空を眺めていたのでしょうか?

前を向くと煙がモクモクとあがり、異様な臭いが充満していたはずです。
なんたってこの先にはガス室と焼却炉があるのですから。


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当時敗戦を悟ったナチスが証拠隠滅を図るためにダイナマイトで爆破したので、今はもう瓦礫の山しか残っていません。ここでも1日数千人の囚人たちが殺されています。


ここビルケナウには「アンネの日記」で有名なアンネ・フランクも収容されていました。
実際に収容されていた建物はもうありませんがこの写真の様な場所に収容されていました。
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木造づくりのベッド。壁はレンガもしくは木造。
冬にもなれば−20℃近くにもなります。当然凍死する人も出てきたでしょう。。。

この地を歩いているとたまにネコを見かけます。
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中谷さんが言いました。
「ここを見学しているとこういうネコが可愛い(もしくは可哀想)に思えてくるらしく
みんなが餌をあげちゃうんです。だからここらのネコはみんな太ってますw」

人間て単純だなーっと思った瞬間でしたw


こうして約3時間のアウシュヴィッツの見学が終了しました。
帰りは監視塔前のバス停から第一収容所前まで戻り、そこからバス(1人14zl)でクラクフまで帰りました。



□いったい誰が悪いのか?


ここまで読んでいただき、みなさんはどう思ったでしょうか?

「やっぱりナチスやヒトラーは残忍だ!」
「大虐殺なんてやっていいわけがない!」

と思いましたか?

私はというと、話はそんなに単純なことではないんじゃないかな?と思いました。


そもそもこの時代のドイツは、医療技術なども最先端をいっていて、数々の学者や医者がドイツに医学を学びに来るほど文化水準が非常に高い国でした。あの”死の選別”をした医者も世界トップレベルに優秀な人たちです。

そんな国の人たちがこんな事をしてしまうのでしょうか?


ここから先は中谷さんからの話を聞いたり、色々と調べたりして私が今一番納得している考えになります。



なぜユダヤ人はドイツにこんなにも迫害されているのか?


今回大量虐殺されてしまったユダヤ人。彼らはいったいなぜこんなにも迫害されていて、殺されなければならなかったのか?それを考えるにあたってまずは”ユダヤ人”について知る必要がありました。


そもそもユダヤ人はユダヤ教という宗教を信仰していますが、彼らは昔、ローマ帝国に侵略されて国がなくなってしまい、ヨーロッパを中心とした様々な国に分散することになります。


ヨーロッパというとキリスト教が主の宗教です。


そんなキリスト教を信仰しているヨーロッパ社会の中において、ユダヤ教は異教徒として扱われて身分が低く、土地を持つことや農業などの真っ当とされていた仕事に就くことができませんでした。

どんな仕事をしていたかというと金融関係や商業関係の仕事です。

当時キリスト教は金品の貸し借りで利子を発生させることが禁止されていました。つまりヨーロッパの多くの人はこういう金融関係・商業関係の仕事をやりたがりませんでした。
なのでヨーロッパ人はこういった仕事をユダヤ教徒たちに押し付けていたのです。

その後、ヨーロッパでは時代の流れから、身分制度を含めて様々な革命が起ります。
農業から商業中心の時代に変わっていきます。

すると今まで最下層だったユダヤ教徒たちが急に目立ちはじめるようになりました。
低かった身分の人たちが急に普通になっただけでも目立ちますよね。
更に金融・商業関係の仕事をやっていたことから裕福になるユダヤ教徒まで現れてきます。

そうすると、元々あったユダヤ教徒に対して更に輪をかけてやっかみの気持ちや嫉妬の気持ちが湧いてくるのが人間というものです。

なのでユダヤ教徒に対する偏見の感情を抱いていたのは、何もドイツだけではなく、ヨーロッパ全体がそういう空気になっていたということです。



なぜドイツ(ナチス)はユダヤ人を虐殺したのか?

まず、この様にヨーロッパ全体がユダヤ人に対して偏見の感情があったということが前提になります。

そんな中、第一次世界大戦が起こりますがドイツはこの戦争に大敗してしまいます。
そしてドイツは国連からヴェルサイユ条約という賠償金も含めた非常に重い負担を背負わされることになります。

ドイツ国内は日に日に衰弱していき、怒りや焦燥感で満ちていきます。
誰か私たちのドイツを立て直してくれ!
国民みんながそう思いはじめます。

そこで国民選挙で選ばれたのがヒトラー率いるナチス党です。
そうです、ナチス党は国民によって選ばれたのです。

その時、ヒトラーが国民に掲げていたマニュフェストが「民族の浄化」
金持ちで目立つユダヤ人を追放して、世界一優秀なドイツを取り戻すぞー!!

ユダヤ人に対して元々偏見の気持ちがあった国民はこれに大賛成です。
熱狂的にヒトラーを指示します。

はじめは国民によるヘイトスピーチから始まりました。

「ユダヤ人は出て行け」
「ユダヤ人を殺せ!殺せ!」
「おれが辛いのはお前らのせいだ!」


次に起こったのはヘイトクライム
ユダヤ人が経営している店の破壊、直接的な暴力、殺人などです。

国が推奨していることを良いことに国民もドンドン勢いにのってきてしまいます。
 

そしてこれらの政策は他のヨーロッパの国々も当然知っていて、
でも他の国々もユダヤ人のことをよく思っていなかったので特に止めなかった。

なんかドイツ国民も盛り上がっているしいいんじゃね?みたいな。

フランスもイギリスもヴェルサイユ条約でちょっとドイツをイジメすぎたかな、、、
と負い目の意識を持っていたので強くは言えなかったようです。


すると次第に軍事力を付けていったヒトラーが次に行ったのが他国の侵略です。
そこでポーランドに進行したことをきっかけに第二次世界大戦が始まってしまいます。

そしてこのポーランドで、ユダヤ人の大虐殺施設であるアウシュビッツが作られました。

なぜポーランドだったのかというと
”ヨーロッパの中心国だったから”や”近くに労働力を活かせる炭鉱・石灰の産地があったから”、”鉄道の接続が容易だったから”などいくつか要因があったようですが、当時は西欧文化主義でドイツも隣の国のポーランドのことをあまり知りませんでした。つまり”侵略しても悪いと思わなかった"という意識的な理由も強かったそうです。


この様にヒトラーはドイツ国民のくすぶっていた気持ちを上手にすくい上げて、かつ国民の支持を得て、マニュフェスト通りにユダヤ人の大虐殺を行っていったのです。


ヒトラー(ナチス)による大虐殺を止められなかったのか?

「さすがにこれはやりすぎでしょ?」
と途中で止めようと思った政治家や国民ももちろんいました。

そりゃもともと文化水準の高い国の人々です。頭はいい!
今の私たちが思うように「え?ちょっとこれはさすがに、、、」とか「え?本当に殺しちゃうの?」と反対意見を唱える人たちも当然でてきます。

でも、ヒトラーやナチスは国民が選んだ政党です。

反対意見を言おうものなら「君たちは政治犯ね!」となってユダヤ人と同じように殺されてしまっていました。むしろヒトラーはこういった政治犯を黙らせることも含めて収容所を作ったのです。

そんな空気の中ということもあり、大虐殺を止めることはできずにここまで大きくなってしまいました。


お金持ちになったから?ユダヤ人が偏見を持たれてしまったのはそれだけが理由なのか?


先程、そもそもユダヤ人が偏見を持たれる様になってしまったのは”ユダヤ教徒がヨーロッパに対して後からきた異教徒だから”や”身分の低かったユダヤ人が革命の後にお金持ちになって目立ってきたから”と書きました。

こう書くとやっぱり「ユダヤ人が可哀想」、「ユダヤ人ってやっぱり被害者だよね。」と思いますよね。

でも果たして本当にこれだけの理由でユダヤ人はここまで迫害されるのでしょうか?

ここが面倒くさいところでもありますが、実はユダヤ人もユダヤ人で昔から嫌われるようなことをしてきていたようです。


その最たる原因となったのが”ユダヤ教”の考え方である”選民思想”があります。
選民思想とはつまり「自分たちだけが神に選ばれた種族である!」という考え方です。


どんな時でも自分たちユダヤが1番だ!という考え方を持っている。
→つまりめちゃくちゃ傲慢なやつ。


更に、どこでも独自のコミュニティを築き、それを固くなに崩そうとしない。
兵役・徴兵を嫌がり住んでいる国のために尽くそうとしない。
→つまりめちゃくちゃワガママなやつ。

更に更に
イエス・キリストを殺したのがユダヤ人であるとも言われています。
→つまり信仰している宗教の敵。


こんな感じの「めっちゃ思い上がっていてワガママで非協力的な憎いヤツ」が同じ学校や会社にいたら、私たちですら”うぜーなコイツ、、、”と思っちゃいませんか?


先ほどの理由と今回の理由も相まって、ヨーロッパ各国でユダヤ人を疎ましく思う人たちがたくさんいたのです。



そしてここまでくると、もはや一体誰が悪いのかわからなくなってきませんか?



大虐殺をしたヒトラーやナチスが悪いのか?
だけど彼らは自国であるドイツを立ち直そうという想いからこういう政策をとった。しかも国民の選挙で選ばれて国民も支持していた。

また当時行われていた酷い人体実験も見方を変えると兵士をなるべく死なせないようにするためであり、これらの実験は後々の医学の発展にも貢献している。


ではヴェルサイユ条約という重い罰でドイツを追い込んだ国連が悪いのか?
だけど第一次世界大戦の様な戦争を起こさせないためにも、見せしめの意味も込めて重い罰を与える必要があった。結果的には第二次世界大戦が起こってしまいますが、、、


ならそもそもワガママかつ傲慢な態度で嫌わるようなユダヤ人が悪いのか?
だけど彼らはユダヤ教を熱心に信仰しているだけ。


ならその考えの発端となっているユダヤ教という宗教が悪いのか?
だけど宗教を信仰・崇拝することで多くの人たちが救われていることもまた事実。


うーん初めは単純に大虐殺なんかしているナチスやヒトラーが悪いに決まってるじゃん!と思っていましたがそんな単純なことではやはりないんですね。。。



そして今回アウシュヴィッツを訪れて中谷さんの話も聞いて感じたことがありました。
それは

「これって誰か1人や1国がすごい悪者なんじゃなくて、みんなそれぞれが大切な何かを守ろうとしていった結果だったんじゃないか?」と思いました。


ヒトラーやナチスは国民を守ろうとして
人体実験の数々は兵士達を守ろうとして
ドイツ国民達は自分たちの家族や大切な人たちを守ろうとして
国連の人たちは世界を戦争から守ろうとして
ユダヤ教徒達は自分たちの種族を守ろうとして
宗教は信仰する人たちを守ろうとして



「人を殺したり人を差別してしまうのは、人を大切に想う気持ちだったんだ」と、その言葉に矛盾を感じながらも妙に納得してしまった自分がいました。


余談ですがアウシュヴィッツの大虐殺を指揮してきた所長の”ルドルフ・ヘス”
こんな酷い収容所の所長なんて、どれだけ残虐でサディストで冷酷な男なんだ!
と思いますよね。

彼は戦後に裁判にかけられてこのアウシュヴィッツで処刑されていますが、処刑される前に家族に向けて手紙を書いています。妻と子供たちに向けて。


妻には
「私の名字のままだと何かと困るだろうからこれからは旧姓を使いなさい。健康に気をつけて、子供たちをよろしく。」


子供たちには
「私のようにただ国に従うだけではなく、自分たちで善悪の判断ができる人間になりなさい。」


さらに数十年経って子供たちは父親のことをこう語っています。
「父は家では物静かで優しい人でした。私達をこよなく愛し、よくソファに一緒にすわり、父子としての時間を満喫しました。私達を抱き上げ、キスをしたりと、父は家族をとても大切にした人でした。」


これってめっちゃ愛情にあふれた父親ですよね?

あんな悲惨な収容所の所長でさえも、家に帰れば私たちの父親のように優しく、妻や子供を愛しているんです。


人は誰かを愛する時、それを守ろうと残酷になってしまうのかもしれませんね。



□大切なのは自分で考える力を持つこと。


見る人の立場や距離感、時代によって、はじめは”良いこと”だったのが”悪いこと”に変わってしまうことがわかりました。。。

では私たちは、いや私はこれからどうすれば良いのでしょうか?

おれはこれから政治家を目指す!
そして日本を守るんだ!


なんてこっ恥ずかしいことはさすがに思いませんが
それを考えるきっかけを中谷さんは教えてくれました。

「今の私たちに出来ることは、過去から学んで自分で考える力を持つこと。」

政治家の言ったことを鵜呑みにせず
テレビのニュースで観たことを鵜呑みにせず
自分の力で考えるクセをつけなさい!

そう言われている気がしました。

そしてこうも続けてくれました。


「今、アメリカやヨーロッパで起きている移民問題を無視していてはいけない。」


日本は今人口が急激に減ってきてしまっています。高齢者数の割合もドンドン増えていっています。
すると今後どうしても労働力担保も含めて移民をどうするかの問題が日本にもやってきます。

国が移民を受け入れると判断した後
もしかしたらあなたの家の隣にイスラム教の人が入ってくるかもしれません。

イスラム教=ISIS、自爆テロ、、、そんな知識しか持っていなかったら仲良くするどころか
偏見や恐怖心しか生まれませんよね。
それじゃあユダヤ人を迫害していたころのヨーロッパ人の意識と同じです。


「大衆の意思に流されてしまっては、簡単に後戻りができなくなってしまう。自分の意思をしっかりと持っていれば例え間違ってしまっても後戻りがしやすい。」


政治家は国民の期待に答えるのが仕事です。
まずは国民がしっかりとした意思を持たなければいけない。

そう教えてくれました。

うーん私はどうしよう。
とりあえず、身近にできることとしてYahooニュースやグノシーでエンタメとスポーツだけではなくて、政治や国際のページもちゃんと見ることから始めようと思います!



またまた余談ですが、アウシュビッツでのユダヤ人大虐殺から70年以上が経ち、この問題は解決したように見えます。しかし実は形を変えていまでも続いているのです。

それがニュースでも良く聞く”イスラエル・パレスチナ問題”です。

この問題となっている国はイスラエルという国ですが、元々はパレスチナとして
アラブ人とユダヤ人がそれなりに仲良く暮らしていた地域です。

ですが、アウシュビッツの大虐殺以降、安息の地を求めていた他国のユダヤ人たちが一斉にこのパレスチナに流れ込んでくるようになりました。

「ユダヤ人の国を作ろう!」と。

なぜこの地なのかというとそれはこの地にあるエルサレムが宗教上とても大事な場所だからです。

が、その地域には当然昔から住んでいるアラブ人たちがいます。
そして元々それなりに上手くやっていたアラブ人たちは当然怒りますよね。

「なんでいきなりユダヤ人が増えて、勝手に領土を拡大してるんだ!!」って。

その後も色々と揉めますがついにユダヤ人たちは自分たちの国として”イスラエル”を建国してしまいます。

アラブ人たちは当然さらに怒り、ついには近隣諸国をも巻き込んだ戦争がはじまってしまいます。
これが”イスラエル・パレスチナ問題”です。


そして今でもユダヤ人たちは、アラブ人をさっさと追い出したいがために武力行使以外にも、アラブ人たちの水道・電気・ガスなどのインフラを掌握し、いきなり断水したり、ガスを止めたりやりたい放題らしいです。もちろん断水されてる間はシャワーも浴びられなく、トイレも流すことができません。。。ネチネチと嫌がらせしているんですね。


これを聞くと
大虐殺の時はユダヤ人がかわいそう!と思っていたけども、あれ?ユダヤ人もかなり最低じゃん!って思いませんか?
人の心はなんて変わりやすいのだろう。。。


だから自分で考える力が大切なんですね!



□中谷剛さんへのガイド依頼方法

アウシュヴィッツにおけるアジア人公式ガイドの中谷剛さんへの連絡方法は以下です。

中谷さんへの連絡はメールになります。

nakatani@wp.pl

ガイド料:合計の参加人数によって変わりますのでガイド依頼と同時に確認してください。
所要時間:第一収容所と第二収容所を合わせて3時間ほどです。(現地スタート現地解散)

【注意点】
これまでは1万人だった日本人観光客が去年3万人に増えたこともあり、中谷さんの物理的な時間がかなり無くなってきてしまってるそうです。

私たちは本当に偶然にも連絡をさせていただいてから2日後に参加することができましたが、今回一緒に周った方々の中には4ヶ月くらい前に連絡したという方もいらっしゃいました。

中谷さんへガイドを依頼される場合は、旅行計画と共に早めに連絡することをおすすめします!
ただし、あまり早すぎても中谷さんも予定がわからないそうなので2ヶ月くらい前がベストなのかと思います。


□より詳しく知りたい人におすすめの本

最後に、中谷さんのガイドの中で紹介されたおすすめ本のご紹介です。当時の状況を深く理解するのに良いとのことでした。




こちらやっぱり是非一度は読んでおきたい本です。





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